こうである「べき」像を押し付けないで
こんばんは。
ベルギー🇧🇪戦とても良い試合でした。
柴崎のあのパス、DFに
「触れると一瞬思ってパスカットの足を出した瞬間、届かないとわかる」
ようなあのパスが、芸術的でした。
自分はツイッターをやっているのですが、このベルギー戦で思うことがひとつあります。
リーグの第3戦での選択について、とその後です。
まず、ポーランド戦も自分は見ており、
点を取れる決定機はほぼないにせよ、点を取りに行きつつ引き分けは難しくなかっただろうという感想です。
ただしそれは後半5分辺りまでです。
ターンオーバーなのも理解してましたが、点を取られてからボール回しを始める、
というのがルールに則っているとはいえ
もっと上手く回せる方法は無かったのかと思い、そういう気持ちをつぶやいていました。
2点目取られたら終わりだというのに走ってない宇佐美とかいう選手もいましたし。
問題というか分からないのが、決勝トーナメントに出場するための戦術を取るまでの過程
全てを見ている上でいらいらした気持ちになる、というのを吐くと
褒めたらいかんのですか?と。
野村周平に群がる人とか何を求めたいのかと思ってしまいます。
俺は、私は、このチームを理解してる、だからそうではないあなたはずっと非難していろよ。
というメッセージですかね?
価値の押し付けが当たり前になるとスポーツはくだらなくなります。誰もポーランド戦で最後まで戦え、とは言っていません。その実力がないのにターンオーバーさせてポイント差で上がれるこの制度に問題でもあるんでしょう。
とぐらいにしか思っていません。
監督のいうこと、やったことが全てになるなら、独裁の共産主義がお好きなんですね、と思うだけですけれど。
選手たちは最高ですが、
ハナから応援していたベルギーが勝ってくれて良かったです。
今日はちょっとくだらない話になりました。