平等なスポーツ、不平等な現実
こんばんは。
ルール改正がスポーツにはしょっちゅうあります。
それは、危険だったり、プレーの円滑化やエンターテインメント性を高める為だったりするのですが
基本的には、同じ場にいるプレイヤーに
純粋な「差」を決めさせて
勝敗をつけていきます。
それは単なる身体的、能力的なものであったとしても
それこそが平等そのものだといえるでしょうし、覆すための戦法を有効に扱えて、勝てたならば
なおのこと平等だといえるでしょう。
コートの上では石が転がっていたり、床が常時濡れる仕様にでもならない限り
平等なのです。
だからこそ、数少ない勝ちに価値を見出し、ビジネスとなっていく部分があるのです。
いいですか、世の中を良くする、改善するというのは「勝つ人間の量を増やす」ことなんです。それはスポーツの世界とは真逆なんです
— 砂鉄 (@satetu4401) 2018年10月14日
「色々理由を付けて優勝校を1000校に拡大する」ような方法でしか社会全体の利益は増えないんですよ
この方が言うことは面白く、崩してとらえると良い部分がたくさんあります。
現実の社会も平等であれば、
だれか1人が実力とともに全てを手に入れていないとおかしい
というより、同じ給与で
同じような態度で
生きる人が2人いたならば
容姿端麗だったり
能力の高い方が生き残るべきです。
でもそうならないのは、不平等だからこそだと。
一番駄目な奴を守ることが、最終的には自分を守る事になるんだ
— 砂鉄 (@satetu4401) 2018年10月14日
「あんな奴らは仲間じゃない」と言うたびに、ゆっくりと自分の首が締まって行くんだよ。喫煙者を見て見ろ、マナーの悪い連中を切り捨てた結果、いまや普通の喫煙者の居場所もねえだろ
顔が良くて
謙遜ができる
思考をする
その真逆の人間がいて
その人達より待遇が悪くなるケースが多々あるというだけで、いろいろ察します。
ある意味楽しいんですがね。
真面目がバカを見る世が終われば、と思っているだけで人生おわりそうなので
スポーツの中だけでは、純粋に
ただただ容姿の良い
愛想の良い
謙虚な
知識と見識と実戦経験の豊富な
良い人間でありたいと思います。
事実、平等なスポーツでは
だいたいは負けないです。
負けることもありますが、言い訳のできないレベルで劣っているだけで
追い越すことなど何度もあります。
楽しみましょう。