取り組む姿勢は最低限
こんばんは。
曲がりなりにも
・選手
・コーチ
・観客、視聴者、ファン
という
歴が浅いもの、種目は変わったものもありますが、
3つ以上の視点を経験中の者として
1番最初の部分、気持ちの部分
を考えてみます。
自分が選手の時は
○考えて、萎縮しない
○無心になるための前提
など、
練習から小さく無駄な動きを取り入れて
いきます。
コーチとして教えるとき、または観戦者としてみている時、
特に学生スポーツに対して思うことが
○ネームバリューだけで当たって砕けろ戦法
○そもそもの理想を立てて競技をしているのか
↓
これが1番気になるところで
いいプレー=点を取る、というよりただただどんな形であれ勝つこと
でも全くもって構わないと思うのです。
しかし、その成功体験を求め続ける為に
プロでもないのにプレーしていくのは
マゾですね。
サッカー、特にテニスは🎾観るだけなんですが
トップ選手ほど
どんどん変わっていきます。
それは加齢によるスタイルの変化
という一言で片付けられるものはありません。
なのに、若い学生スポーツ、
ましてや毎年メンバーが入れ替わるはずなのに
なんら変わりのないスタイルを突き通すのは
なんなんでしょう?
斬新なプレーが見たいのではありません。
ただ、模倣して競技するだけなら
社会人になってからでも
いつでもできます。
自主性、独自性のない閉鎖された学生スポーツに
魅力はないです。
そして、自分で選んだ学校には文句があり
競技もやりたいと
選手が来ているはずなのに
誰かに言われないと戦わない、何をしたいか考えない、
本質なんか見ようとしない
あ、ここなら勝てる
あ、ここには負ける
あ、あ、あ、あ、…
スポーツを意識高くしろとはいいませんが
時間を無駄にして欲しくないので
そんな弱小校の選手は
出場権を剥奪してもいいかもしれませんね。